
くと言っていいほどバリアフリーの考慮がないのが不思議である。
7−1−4.イギリス
イギリスでは、友愛組合の伝統の下、1911年の国民保険法により社会保険制度が設立され、第2次世界大戦中に出された「ベバリッジ報告」により社会保障制度の青写真が示され、戦後、その体系が整備された。
イギリスでは、ソーシャルサービスという概念に所得保障、国民保険サービス、対人社会福祉サービス、住宅サービス、教育サービス等が広く含まれている。所得保障としては自営業者も被用者も含めて総ての国民が単一の制度に加入するイギリス特有の制度として国民保険制度があり、これには退職金、出産手当、傷病手当、障害給付、寡婦給付等が含まれる。このほか、無拠出の所得保障制度として、児童を扶養する家庭や、障害者に対する各種の給付や所得補助制度等がある。
海洋性レクリエーションについては、産業革命時の都市を覆うスモッグ被害からくる各種の疾病(皮膚病、肺病、佝僂病、婦人病等)を治療する目的で海水浴(SPA)が奨励された。その結果として、ヴィクトリア女王時代に、ロンドンから南へ200キロメートルほど離れたブライトンに海洋保養都市が開発された。同時期に、世界で最も早く鉄道がロンドン、ブライトン間に敷設された。当時の人々の多くが泳ぎを知らなかったために、海水につどっぷりと浸かるためには馬車が利用された。王侯貴族、あるいはブルジョワジー(産業革命で富を得た富裕市民階級)が馬車を借りきり、馬車の中に食事や喫茶、着替えを積み込み、馬車をバックさせながら海中へと入って行った。海水着が開発されたのもこの時代であった。海岸は石とコンクリートで整備され、遊歩道には鋳物でできた欄干が整備された。また、海中へ向かってプレジャーピア(遊戯桟橋)が世界で初めて建設された。プレジャーピアの目的は、暑い夏の夜を快適に過ごすための仕掛けであり、若い紳士淑女が恋を語らう場所でもあった。プレジャーピアの上には、レストランや喫茶店、カジノやカルセール(回転木馬)などの遊戯施設も建設され華やかなものであった。ブライトンにおける海洋保養地の開設は、ホテル計画に革命的変革を招くこととなった。ホテルに初めてホールやレストランが登場したのであった。
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